かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ
第二節 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
しょうけん ごうんかいくう どいっさいくやく
照見 五蘊皆空 度一切苦厄
ここは、ドラマが始まる前の、ナレーションと言ったところです。ナレーターが、ドラマの全体の内容について説明しているといったところです。楽しみにしていたドラマがいよいよ始まるときの、あのワクワクした気持ちを思い出して、この文章を読んでいくことにしましょう。
観自在菩薩が、宇宙の真理に触れるために般若波羅蜜多という深い瞑想をしていた時、この世界全体はみな空だということがハッキリとわかりました。そうして、迷い、恐怖、不安という一切の苦しみがなくなり、心から安心することが出来て、とても幸福な気持ちになりました。
観自在菩薩というとわからなくても、観音様というと聞いたことがあるでしょ。菩薩とは、人々を教え導き救うために修行している人ということです。菩薩の中でも観音様は、昔から一番人気があります。
わたしたちは、いつも自然から、あるいは宇宙からいろいろな事を教えられています。昔の人は、現代の人よりももっとそういうことを感じていたんですね。そういう自然や宇宙の教えを、愛の心でやさしく伝えてくれるのが観音様であるということです。その観音様が、般若波羅蜜多という瞑想を行っていました。宇宙の心と響き合う瞑想のことです。「般若」というのは、宇宙と響き合ってその真理を理解する知恵ということですね。違う言い方をすれば、空を理解する知恵ということになります。
ところでこの「空」とは何のことなのか? これが般若心経がわかるために一番大事なことです。「空」はからっぽという意味があります。だからこの「空」を空っぽで何もないことだと考えたらそれは大間違いです。空っぽどころではなくて、全部の全部の元、全ての全てを生み出す無限の力そのものということなんです。あなたや両親やご先様祖、世界中の人たち、動物も植物も山も川も、地球も太陽も、銀河系も、遙か彼方の見ることも出来ない天体も、何もかも全部の全部のぜ~んぶをつくり出した大もとを空と言っているんですね。
この(わたしたちが、まだはっきりわかっていないものも含めて)世界全体は空なのであるということがわかったら、悩みも不安も恐れも苦しみも全部なくなってしまった、というんです。限りのない、全部の全部ということを表すには、空と言うほかないんですね。
言葉というのは、ものごとを分けるためにあるものなのです。たとえば、山と谷、太郎君と花子さん、美しいと汚い、というように、分けるためにあるのが言葉です。ですから、分けることの出来ない全部を表す言葉はありません。ですから空というしかなかったのです。そういうことですから、空を空っぽという意味ではなく、全部の全部という意味で般若心経を読んでいくことにしましょう。
つづく