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『暗号は解読された般若心経』を学んでみよう!わたしは宇宙 ⑤
しゃりし しきふいくう くうふいしき
第三節 舎利子 色不異空 空不異色
しきそくぜくう くうそくぜしき
色即是空 空即是色
じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ
受想行識 亦復如是
ここでいよいよ観音様が登場してきます。そしてまず「舎利子」と呼びかけるのです。このお経の元々の言葉であるサンスクリット語では、舎利子は、シャーリプトラという名前で、お釈迦様の一番弟子であった方なんです。般若心経の中では観音様の生徒として登場してきます。 観音様は、「シャーリプトラ君」と呼びかけました。先生に名前を呼ばれると、ちょっと緊張して一所懸命聞こうとするでしょ。シャーリプトラも、「ハイッ」と答えて、観音様のお話に耳を傾けたことでしょう。
シャーリプトラ君。人間はいろいろな悩みや苦しみがあるように思うけれど、本当は空そのものなのだ。逆に言えば、空は人間そのものなのだ、と、言うこともできる。色と空は全く同じなのだ。色は空そのものだというと、わかりにくいかもしれないので、少し言い方を変えてみよう。人間は空に行くことが出来る。そして空からまた色に戻ることが出来る、ということだ。受想行識についても同じことが言えるのだ。
人間は「色」と「受想行識」からできていて、それは空(宇宙の理念)そのものなのだと、観音様は言っているのです。ここで、「色」と「受想行識」について説明しておきましょう。「色」はわたしたち人間の心、あるいは精神性の本当のすがたであるということです。
また「受想行識」は、現実のこの世界ではたらく部分です。これを月探索の宇宙船にたとえて考えてみましょう。「色」は司令塔で、「受想行識」は、月という現場を担当する部門です。
そして、色と受想行識で成り立っている人間であるわたしたちは、それぞれ別々のいのちを生きているようだけれど、実はみんな同じいのちとしてつながっているんだということなんです。
この一つのいのちが空であるということです。前に言ったように、空と言うと、何か空っぽで、冷たい何もない世界のようですね。でも全く反対です。空とは、温かくイキイキとしていのちがおどっている、そんな世界です。
わたしたちは、その空の中から生まれた、空そのものであるという存在なのです。「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是」とは、そういうことを言っているのですね。
どうですか? ちっぽけだと思っていた自分が、宇宙いっぱいに広がっていくのを感じませんか。日頃思っている小さな存在が自分だと考えていると、とても孤独でさびしい人生になってしまいます。自分を大きなものの一部と考えると、心が解放され楽しくなってくるのです。どうせならとびきり大きなものの一部と考えましょう。そう、無限の宇宙の一部と考えるのです。それは考えなのではなくて、実はそれが本当のわたしたちのすがたなのです。
ここで、「色不異空 空不異色」と「色即是空 空即是色」と、言葉を変えて説明しています。前の方は、「色は空と違いはなくて空そのものである、空は色と違いはなく色そのものである」という意味です。そして後の方は、色から空には直ちに帰還できるし、空から色にも直ちに展開できる」という意味です。後の方が、わたしたちにとってわかりやすく言っています。 これは後で少しずつわかってきますが、今は、「色と空は本来違いがない」ということで理解しておいてください。
三節の終りに、「受想行識 亦復如是」とあります。これは、受想行識も色と同じですよということです。「受想行識不異空 空不異受想行識 受想行識即是空 空即是受想行識」ということですが、長くなるので、簡単にまとめたということです。
白隠禅師という江戸時代のえらいお坊さんは、このことを、「水と氷」にたとえています。水が空で氷が色です。水は、形がなく、どこにも滞らず流れ、動物や草木のいのちを養い、洗い清めます。氷は、形があって、固まって流れず、生物を傷つけることもあります。しかし、水も氷も成分は同じです。水素二つと酸素一つが化合したものであることに変わりません。氷のように固まってしまっている自分を、どのように溶かして、自由に流れる水にするか? 観音様は、そのことをシャーリプトラに何とか教えてあげたくて、一所懸命般若心経を説いているのです。 つづく