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『暗号は解読された般若心経』を学んでみよう!わたしは宇宙 ⑦


         ぜこくうちゅう  むしきむじゅそうぎょうしき

第五節  是故空中   無色無受想行識

むげんにびぜっしんに   むしきしょうこうみそくほう

無眼耳鼻舌身意  無色声香味触法

むげんかいないしむいしきかい

無眼界乃至無意識界

空、そして空をカタチとして表した空相という言葉が出てきました。私たちがいる世界を思い切り広げて、すべてのすべてを含むまで広げると空ということになります。あなたの家族を広げて学校、もっと広げて町、東京、日本、地球、太陽系。太陽系が何千億集まったのが銀河系です。その銀河系のような星座がまた何千億も宇宙にはあるのだそうです。それらを含めてさらにずーっと広げて、何もかもぜーんぶが空ですね。こんなに大きいと、とても想像できなくなります。そこで一応カタチにしたのが空相ということです。

 自分のまわりの小さな世界だけでなく、時にはこのように、大きな世界からものごとを見たり考えたりすることが大切なのです。宇宙飛行士が宇宙から地球を見ると、小さな自分にとらわれて悩んでいたことが、全くばかげたことに感じたという話をしていました。

 まして、その空と空相の世界から見ると、本当に大きな気持になれるんですね。私たちが普通感じていることが、違って見えてきます。私たちが見たり、聞いたり、においをかいだり、味わったり、ふれたり、考えたりして感じる世界も、見たりする位置を変えると、違って感じるものです。たとえば、あなたが幼稚園に行っていたころ、小学校一年生をみると、大きなお兄ちゃん、お姉ちゃんに見えたでしょ? でもいま、小学校一年生を見ると、かわいく思えて、面倒を見てあげようという気持ちになるのではないでしょうか。それは、幼稚園のときのあなたと、今のあなたの見る位置が変わっているからです。 そのことをわかったうえで、第五節の訳を読んでみましょう。

空と空相を合わせた空中には、色も受想行識も無い。眼も耳も鼻も舌も触覚も意識無い。要するにものごとを感じるためにはたらくものは無い。感じるはたらきが無いから、見る色も、聞く声も、かぐにおいも、舌に感じる味も、触覚の対象も、意識するものも無い。眼の世界、耳の世界、鼻の世界、舌(味覚)の世界、身(触覚)の世界、考える世界も無いのだ。

「空中」とは、「空」と「空相」の両方を合わせた言葉です。「こういうわけで空中には」と始まって、いろんなことに無がつけられています。

 色と受想行識がここでも出てきました。ここに出てくる色と受想行識は、第三節の色と受想行識とは違うことに注意しなければいけません。第三節で言っている、色や受想行識が空であると気づく前の、間違って理解した色や受想行識のことです。これがわからないと、般若心経はチンプンカンプンになってしまいます。だから、そんなものは無いと否定しているのです。

 空という大きな世界から見ると、自分という狭い世界は無いのだというのです。あなたが今見ていることは、だれから見ても同じだと考えるのは間違いです。これはたとえですが、どんなに大好物でも、お腹がいっぱいのときは見るのもいやですし、ちっともおいしそうではありません。でもお腹がペコペコのときは、本当においしそうで、なにはさておいても飛びつきたくなりますよね。同じものでも、そのときの気持で全然違ったものに見えるのです。         

つづく

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