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『暗号は解読された般若心経』を学んでみよう!わたしは宇宙 ⑥
しゃりし ぜしょほうくうそう
第四節 舎利子 是諸法空相
ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん
不生不滅 不垢不浄 不増不減
第三節で、「あなたたちは、宇宙という大きな大きないのちそのものなんです」と、観音様はおっしゃいました。あなたのいのちは、身長にしてせいぜい一メートル数十㎝、重さは数十㎏という、あなたの小さな体の中に閉じこもっているのではなく、無限の宇宙の中に広がっているんだというのですね。般若心経を読んでいくと、そういう大きな広い心になっていくのです。小さなことでクヨクヨするなんてバカバカしいと思うようになってくるのです。
第四節も、観音様はシャーリプトラの名前を呼び掛けて話しを始めます。「ここも大切だからよく聴きなさい」ということなのでしょう。
シャーリプトラも観音様のお話しを聴いて驚きと共に深い気づくところがあり、輝く瞳で観音様を見つめたことでしょう。シャーリプトラは、これまでずいぶん厳しい修行や学問をしてきました。自分が沢山の知識を得て、それを人々に伝えることに努力してきました。実際お釈迦様の弟子になる前には、たくさんの弟子を持っていました。そのたくさんの弟子を引き連れてお釈迦様の弟子になったのです。そして、お釈迦様の大勢の弟子の中でも、智恵第一と言われるほどすぐれた人でした。
でもシャーリプトラはこれまでを振り返ってみると、偉い学者になろう、尊敬される先生になろう、そんな気持で勉強してきたな、と思いました。世のため人のためというよりも、自分の名誉心を満足させるために、自分の事ばかりを考えて努力してきたのだったと気づいたのです。自分は、宇宙という大きないのちそのものだという、そんな大きな考えはしたことがなかったのです。「そのような大きな考え方をする人間になりたい。そのような気持ちになれるような瞑想の方法をぜひ教えて頂きたいものだ」と心から思ったに違いありません。
観音様は、相変わらず真剣に、しかもやさしい微笑をたたえてシャーリプトラに語りかけます。 次に、第四節の観音様の言葉を訳してみることにします。
シャーリプトラ君、ここも大切なところだからよく聞きなさい。
人間は空である。つまり人間は無限の大宇宙のいのちそのものであると言ったね。わたしたちは無限の宇宙のいのちとつながって生きているんだ。わたしたちは自分の力で生まれてきたのではないよね。宇宙のいのちによって生かされているんだね。諸法とは、その人間がいのちの活動を行なう場所のことなんだ。環境と言ってもいい。その環境も空なんだよ。空というと心に浮かべにくいので、ここでは空相と言っている。「空のカタチ」ということで、心に浮かべやすいように「諸法は空相である」と表現したんだ。諸法は空の姿をしているということなのだ。
そして、空相は「不生不滅・不垢不浄・不増不減」なんだ。生じることもなく滅することもない、汚くもなければ綺麗でもない、増えもしないし減りもしない。 さてその空相という大きな世界から、このいのちの活動をしている環境をあなたたちは、普通、生じたものは必ずなくなってしまうものと思っているけれど、空相の世界では時間は無限なので、生じることも、なくなってしまうこともないんだ。それから、あれはきれいであれは汚いと、分けて考えているけれど、空相の世界では、そんな差別はないのだよ。それから、空相は無限だから増えることも減ることもないんだよ。 時には、生ずる・滅する、汚い・きれい、増える・減るといった限られた世界から、永遠、無限の世界に飛び出して物事を考えてみると、自由で、すばらしいことを思いつくことが出来るんだよ。 それは、宇宙は自分の味方なんだと信じることだ。そう心から思えたとき、不生不滅、不垢不浄、不増不減の中に生きて、気持ちよく生きることが出来るんだよ。宇宙ほど強い味方はない。何しろ、私たちは宇宙のいのちを生きているのだからね。
空とは、全部の全部の元になるものでしたね。空というのをそのまま空っぽと考えてしまうと、般若心経は全く意味がなくなってしまいます。ここでは空を考えやすいように、空相という言葉を使って、考えやすい形で話を進めているのです。
この第四節は大事なことが書いてあるんだけれど、それだけにちょっと難しいところです。なぜ難しいかというと、私たちが普通考えている世界よりもっと大きな世界をえがいているからなのです。そんな大きな世界を考える必要があるのか? そう思いますか。必要があるのです。見えないからわからないのですが、本当はこの大きな世界、つまり空相である諸法という世界でわたしたちは生きているのですから、その事実を知らなければならないのです。
この大きな世界を理解すると、とても幸せな気持で生きていかれるようになるんです。ぜひよく読んで、そして時々瞑想をして心を静め、大きな世界に心を広げてみて下さい。真っ青な空に心が広がっていくような、驚くほど愉快な気持になれるはずです。この宇宙とつながる瞑想を、「般若波羅蜜多」の瞑想といいます。「般若心経」は、「般若波羅蜜多」の瞑想について書かれているのです。
「般若」とは「知恵」という意味で、「波羅蜜多」とは「宇宙という大きな世界」。ですから、「般若波羅蜜多」は宇宙につながる知恵という意味です。
「諸法空相」という言葉が出てきましたね。諸法とは私たちが生きて活動する場ということです。世界といってもいいかな。諸法とは、例えて言えば国みたいなものです。国は、国民が安心して生活できるように、法律を作り、法律にもとづいて国民の安全や健康を守ることなどを行ったり、法律を守らない人に守らせるようにして国民を守っています。この国というものを宇宙の大きさに広げたのが諸法というわけですね。 そして、諸法は空相だと観音様は言っています。空というとあまり大きすぎてイメージできないから、空をイメージできるように、それを空(くう)の相(かたち)で「空相」ということにしたんですね。たとえば、「愛」と言ってもピンときません。でも、あなたが風邪をひいて熱を出したとき、一所懸命看病してくれたお母さんのあの心が愛だというと少しわかるでしょ。あなただって、友達が学校を欠席すると、風邪でもひいたのかなと心配するでしょ。地震や火事などの災害で困っている人の様子がテレビで報道されていると、何かしてあげたいなあって心から思うでしょ。そういう温かな気持ちが愛です。こういうと、「愛」という見えないものが実感できるでしょ。
般若波羅蜜多の瞑想をすると、いのちの声を聴くことができるようになります。そして大きないのちに見守られ生かされていることがわかります。すると、自分の持っている力が発揮できるんですね。大きないのちと一つになると、宇宙は味方になってくれます。いや、いつも味方なんだけれど、あなたの方でつながろうとしないと、宇宙はあなたを助けることができないのです。
宇宙のいのちとつながっていると、生ずることも滅することもない永遠のいのち(不生不滅)、差別のない心(不垢不浄)、全てのものに共通して変わることのない(不増不減)に満たされてくるんですね。そういう広い心になった時、わたしたちは本当に幸せになるんです。このことについて、少し説明していくことにしましょう。
まず、不生不滅。限られたいのちしか考えることができないと、自分の人生がすごくちっぽけなものに感じられます。でも、永遠の宇宙のいのちをを思うことができると、心がいっぱんに大きく広がるんですね。永遠の存在として自分を感じることが出来たら、大空をゆく白雲のように自由でおおらかな気持になれることでしょう。
たとえば、ここにノートがあります。ノートになる前は真っ白な大きな紙でした。この紙の原料は、木や草の繊維です。その木や草が育つには土の養分が必要です。土の養分は木の葉などいろいろなものからできています。ですからこのノートは、土の養分によってここにあるのだといえます。あなたもそうです。あなたは、平成何年何月何日に生まれたとき突然生じたのではありません。生まれるずっとずっと前から、あなたは、何らかのかたちで存在していたのです。
それは死んだ後も同じです。死ぬと同時に、何もかも無くなってしまうのではない。すがたを変え、様子を変えて存在し続けるのです。このように、考え方を大きな枠に広げると、広い広い本当の自由な世界に住むことが出来るのです。
次に不垢不浄です。わたしたちはいつも、何かと何かを比較しています。誰かと誰かを比較して良いか悪いか、正しいか間違っているか、という考えでいっぱいになっています。そうすると小さなカラに閉じこもってしまって、宇宙の言葉が入ってこないんですよね。ですから、みんなつながっている一つのいのち、そう考えると、他人と自分を比較して、得意になったり、ガッカリしたりすることがなくなります。人のすぐれたところは心から尊敬し、自分の持っている能力を大切に思えてきます。逆に、人の不得意な事は手伝ってあげようと思うし、自分の出来ないことはだれかに助けてもらおうと素直に考えられるようになります。
そして不増不減です。自分のものを人に与えると、自分の分が減るのではと考えてしまいます。物事は限られているのだという考え方にしばられてしまっているからです。友達が先生にほめられているのを見ると、自分はだめだと言われているみたいに思えるのも同じことです。ときにはそんな狭い考えから離れて、無限の宇宙の豊かさの中に抱かれていることを考えてみましょう。そうすると、ほめられたお友達に、「良かったね」と喜んであげられるあなたになれます。そういう自分であることは、とても気持ちが良いものです。それが不増不減ですね。
このように、一方にかたよって考えたり、こだわったりしないことが空なのです。一日五分ぐらいでもいいから、自分中心の狭い考えから離れて、かたよったりこだわったりしないで、静かにすわってみましょう。生じることも滅することも、汚いのでもきれいなのでもない、増えもせず減りもしない、そんな自由で大きな空の世界を思い浮かべてみましょう。 つづく