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『暗号は解読された般若心経』を学んでみよう!わたしは宇宙 ⑧
むむみょうやくむみょうじん
第6節 無無明亦無無明尽
ないしむろうし やくむろうしじん
乃至無老死 亦無老死尽
むくしゅうめつどう むちやくむとく
無苦集滅道 無知亦無得
まず第六節の訳を見てみましょう。
無明も無く、また無明の尽きることも無い。(途中を省略して、)老死も無く、また老死の尽きることも無い。苦も集も滅も道も無い。智も無くまた得も無い。
???・・・・・。ここも、いっぱい無の字がでてきて、何が何だかよくわかりませんね。実は古くからの仏教の教えに、十二縁起というのがあるんです。それは、「無明→行→識→名色→六処→触→受→愛→取→有→生→老死」というものです。ここはむずかしいのですが、一応説明しておきます。飛ばして読んでもいいですよ。
「無明」は、本当のことを知らないこと。「行」は行い、話す、思うこと。「識」は眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの器官で感じたことを理解すること。「名色」は「識」で感じるもの。色・声・香・味・触・法の六つ。「六処」は・眼・耳・鼻・舌・身・意の感覚器官のこと。「触」は根(六根)と境(六境)と識(六識)が和合して、認識の条件が成立すること。「受」は三者和合して起こる感受であって、苦・楽・不苦不楽の三受のこと。「愛」は渇愛のことで、欲望のこと。「取」は愛によって心の中で起こったものが、身・口を通して具体的な行為となること。「有」は存在のこと。「生」は生まれることの意味と、日常経験とい現象世界が因縁によって生じること。「老死」は現実の苦であり、苦の代表として老と死がいっしょに説かれる。 人間が苦しんだり悩んだりするのは、人生の意味がわかっていない(無明)からです。自分がどうして生まれてきたのか。何をすればいいのか。そういうことがわからないことが無明です。それが順々に原因となって老死(老いて死ぬことを恐れること)になるということです。「乃至」というのは、最初の無明と最後の老死の間を省略しているということです。 これらは仏教の古くからある教えなのです。しかし、空がわかるようになるためには、こういうことは考えなくていいのです。そんなことよりも今は、空を体験することが大事なのです。
つづく